×

CATEGORY

CATEGORY

MENU

築地 江戸銀
長野県酒造組合
諏訪市観光ガイド
諏訪五蔵
高野山 別格本山 大圓院
HOME»  横笛の由来

横笛の由来

重盛に仕える若武者齋藤滝口時頼と建礼門院の官女「横笛」との悲恋物語はご存知でしょうか。

平安時代の頃の夜、京都西八条の平清盛の邸宅で百余人を集めた宴が開かれていました。
白拍子、平惟盛と舞が続き、いよいよ今夜の最後の余興、雑司「横笛」の舞「春鶯転」。
年の頃16・7の娘のあでやかな舞に騒がしかった宴が静まりかえり、陶然として見入るばかりでした。
その夜から若い武士の間で 横笛 は大変な評判となり、翌日から大変な数の恋文、プレゼントがこの乙女の朝夕を悩ませました。
若い武士達は皆恋に落ち、平重盛に伝える「斉藤時頼」もその一人。
23才の時頼は身長180㎝に近い六波羅武士。名もしらぬうつくしい雑司の舞姿に初めて恋を知った時頼はようやくの思いで名前を聞きだしました。

その日以来、三日とあげず切々とした思いを文にして送った時頼ですが、待てど暮らせど返事は返ってきません。
「私の思いは未だとどかぬのか」
恋に悩む若者は日頃の快活さも消え、病気ではないかと人に聞かれる有様。
思いなやむ時頼の恋心は益々強く、今では結婚する女性はこの人しかいないと思うまでに。
結婚を決意した時頼は父にこの思いを告げ許しを乞いましたが、身分の違うこの申し出に、時頼の父は大変お怒りになり、猛反対。
父に逆らうわけにはいかぬ時頼は恋しい横笛への思いを断ち切る為に京都の往生院におもむき出家をしました。

一方、思いがけずあの舞台以来、恋文がひきもきらずの日々の横笛は、所詮は殿方の遊び心と恐れて焼き捨てていましたが、三日に空けず届けられる時頼の手紙だけには心惹かれていきました。
月日が流れ、手紙の数もひとつ減り、ふたつ減りしても時頼だけは変わりありません。
ふるえる指で封を解き文面に目を通すとあふれんばかりの誠と思いの切実さ・・・。
今更返事も書けずと思い悩むも時頼を慕っていく横笛に時頼からの手紙が突然とだえました。

程なく時頼出家の噂を耳にした横笛は、その理由を知り青ざめてしまいます。
世を捨てて出家するほどに恋い慕ってくれた時頼を探しに御所を出たのは7月の半ば。
往生院の庵室の時頼に今までの思いをうち明け、許しを乞う横笛に、今となっては過去のことと取りも合わない時頼・・・。

往生院の門のしたで一夜を泣き明かしながら、誠の道に入る決心をした横笛は、叔母のいる奈良の法華寺で尼僧となりました。
寺の近くのお堂で時頼からの多数の恋文を一枚一枚、水で溶かし、自坐像の紙はりこを作りながら光明皇后の追善供養に精進していました。

修行中の横笛は、ある時おもいがけなく時頼が高野山で修行していることを伝え知ります。
滝口入道(時頼)への想いが断ち切れない横笛は、女人禁制の高野山に一番近い天野の里へ移りました。

我が思う 人の忘れ難きを 如何にせん

しかしながら、ささやかな庵室での修行が少しずつ横笛の体をむしばんでいきます。

厳冬の高野山の寒さを避け、天野の里に下りた僧がいました。
春になり高野山へ戻ったその僧が、たまたま滝口入道に、天野の里の横笛という尼僧の話をします。
数日後、滝口は横笛に、歌を送ります。

そるまでは 恨みしかど梓弓 真の道に 入るぞうれしき

早速の横笛の返歌

そるとても 何か恨まん梓弓 引き止むべき 心ならねば

滝口を思う横笛は病に伏す日が多くなります。

ある日の滝口の歌

高野山 名をだにし知らで 憂きをよそなる 我身なりせば

病の床の横笛の返歌

やよや君 死すれば登る高野山 恋も菩提の 種とこそなれ

病魔はじわじわと横笛を蝕んでいき、横笛19才の暮れ間際、花と散りました。
余りにも美しく年若い横笛の死を悼み天野の里の人達は、庵のそばに塚を作りました。

「横笛のお墓」と伝えられるお墓が和歌山県かつらぎ町天野(あまの)にあります。
ここで横笛は鶯に化身をして、思いを伝えます。

高野山の清浄心院谷の入り口にあった大円院(もと多聞院と言った)で修行していた滝口入道は、やがて高野山大円院第八世代住職となり阿浄と称しておりました。
春うららかなある日、大円院の部屋から外を眺めていた阿浄が庭先の古梅の枝の一羽の鶯に気付きました。
鶯は鳴きながら、阿浄をじっと見つめていたそうです。
いぶかしげに窓から身をのりだした瞬間、鶯はぱっと空へ舞い上がった、と見る間もなく二、三度弱々しく羽ばたいたかと思うとすーっと井戸へ落ちていきました。
「横笛!」
青ざめて阿浄は井戸へ駆け寄りました。
幻影であったのでしょうか?
羽ばたいた鶯の後ろの空のちぎれ雲は、丁度横笛の舞衣の様で、崩れ落ちる鶯が、病み衰えた横笛に見えたのです。

阿浄は、井戸から鶯をすくい上げ、その亡骸を胎内に収めて阿弥陀如来像を彫ったのです。
この像は鶯阿弥陀如来像として大円院の本尊となり、現代に至るまで伝えられています。
大円院では、梅の木を鶯梅(おうばい)、井戸を鶯井(うぐいすい)と呼んで、今でも大切に手入れがされています。

このようなおはなしを耳にした信仰心深かった初代当主が「横笛」の名を後世に残すと同時に末長く菩薩を弔うことも含め、『大銘酒 横笛』と命名し醸造することとなりました。
また、この悲恋物語を初代当主より耳にされた故伊東深水画伯は当蔵のために「紅梅の図」を図柄に描いて下さっております。

天野の里の庵

天野の里の庵

鶯井(うぐいすい)

鶯井(うぐいすい)

横笛のお墓

横笛のお墓